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SUFISM in Arab World - アラブでスーフィズム

イスラーム神秘主義 セマーゼンになった日本人女性が語る、知られざる現実

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空間と人」では、どんな場所でどんな人々がどのように暮らしているのかということを、ひとつのキーワードに焦点を当てて、お伝えします。今週は、モロッコ、ヨルダン、エジプトなどの西方イスラム世界。宗教的な価値観を共有していても、暮らしぶりをよく見ていくと、そこには宗教以前の地域性がよく表れているもの。それぞれの国は、その気候や地形、あるいは経てきた歴史の違いによって様々です。  

本日は、「スーフィズム」。イスラーム神秘主義として知られるスーフィズムですが、その現在の実態はほとんど、日本で知られるところではありません。今回は特別に、中東に移住して13年、イスラームに魅せられた日本人女性・菊池絵美さんに、現地での体験を元にレポートしていただきました。(彼女は誰なのか、なぜ中東へ? 菊池絵美さんの波乱に富んだ半生とその日常は、6月17日朝発行のメールマガジン"Biotope Journal Weekly"でレポートします)

イスラーム神秘主義、スーフィズムとは何か

すべての宗教には、一般信者に教義の閉ざされた密教なるものが存在する。イスラームの密教、それがスーフィズムである。

スーフィズムの語源には諸説ある。スーフ(羊毛)、サファー(清浄)他。羊毛は、今となっては高級品だが、当時は貧困の象徴であり、羊毛を纏うことで禁欲者を表現したのだ。また、清浄とは、あらゆる物・事・人に無執着で、形容不可能な様をいう。スーフィーとは、そういう意味合いがある。

スーフィーダンス(セマー)

スーフィーダンス(セマー)

スーフィズムが盛んとなったのは、ウマイヤ朝が興ってからだ。それまでは禁欲的で信仰に篤かったカリフ(正統派カリフ)とそのウンマ(イスラーム共同体)が、現世的で非イスラーム的な指導者によって、イスラーム以前のジャーヒリーヤ(無明時代)に逆戻りしてしまったように感じた人々の一部が、その様な現世を嫌い、ひたすら崇拝行為に勤しむようになった。彼らが、粗い羊毛を纏っていたことは有名である。

もっと時代が進むと、彼らは各々の導師を軸に教団をつくり、それが現代に継承されているタリーカ(教団)である。

タリーカは世界各国でその土地固有の文化と結びつきながら、今なお増え続けている。タリーカにはテッキーヤ、ザーウィヤと呼ばれる道場があり、そこに寝泊まりすることも出来る。食事が振る舞われ、ズィクルと呼ばれる念唱が行われる。ダッフと呼ばれる、タンバリンのビッグサイズの太鼓(写真上)を叩いて、宗教ソングが唄われる。その歌は、イスラーム教創始者である預言者ムハンマドとそのご家族(アハル・アル=バイト)を称えるものや、スーフィーの導師であった聖者を称えるもの、そして彼らが作ったカスィーダ(詩)が読まれたりする。その詩は、ただただアッラー(神)に恋い焦がれる陶酔の思いが述べられており、意味が分からなくとも、涙が溢れ出てしまうのが不思議だ。

セマーを求めて

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自身*1はかつて各国のスーフィー教団の導師につき、修行をしたことがある。スーフィーという言葉でまず思い浮かべるであろうスーフィーダンス。あの、くるくる回るセマーと呼ばれる念唄を半年強でマスターして、日本人としては現在唯一のイジャーザ(免許)を頂いたセマーゼン(セマーの踊り手)である。

スーフィーダンスの元祖はマウラーウィーヤ教団。欧米で熱いファンの多いルーミーと呼ばれる詩人、ムハンマド・ジャラール・アル=ディーン・アル=ルーミー(バルヒー)の死後、彼の聖廟のあるトルコのコンヤでできた教団だ。

昔は、セマーゼン(セマ―の踊り手)になるために、3年強の修行に励まなくてはならなかったが、現在のトルコはスーフィー教団を禁じている。この為、自身はセマーを学びたい衝動に駆られながら、数年間、各国を探し求めねばならなかった。カイロ大学でヘブライ語やペルシャ語、古代シリア語に古代エチオピア語をアラビア語で学ぶ傍ら、トルコは勿論、エジプトやシリア、イェメン等の著名なシャイフ(イスラーム学者)を訪ね歩いた。 その末にやっと、北キプロスのスーフィー教団の導師の伝手で、念願のセマーの修行にありつけたのだった。

その導師に辿り着いたのは、彼の導師であったダゲスタン人シャイフの聖廟で知り合ったトルコ系シリア人がきっかけだった。自身はカイロ大学を中退したあとでイェメン人の導師に従いダマスカスへ向かい、あるスーフィー団体が基盤のアズハル大学分校に入学したのだが、入ってみて目の当たりにしたのは、あまりに非スーフィズム的な実態だった。彼が手を差し伸べてくださったのはその時のことだ。その団体から逃げ、北キプロスの彼の導師の元に送られたのだが、やはりスピリチュアルの追求は簡単ではない。南キプロスから北キプロスに入るはずが、南キプロスで入国拒否に遭い、小さい部屋で二匹の恐ろしい大型麻薬犬とともに閉じ込められる。その後も、とあるスーフィー教団の導師のアパートをお借りして麻薬犬から受けた精神的ショックを癒そうとしていると、嫉妬した弟子たちがドアを壊して追い出しにやってきた。その時、下着を部屋干しにして裸で寝込んでいた自身は、すぐに出ていくからアパートを出ろと毛布の下から叫び、急ぎ服を着てホテルに向かったのだ。スーフィー、そしてイスラーム教徒の現実はこんなものである。こうして散々な目に遭って、やっと導師の元に辿り着く。しかし、念願のコンヤに送り出して頂くまでは、そこでもまた忍耐の日々だった。

スーフィズムに限らず全世界の宗教宗派において言えることだが、神を求める道では、こういう類のトラブルを耐え忍び、必死に神のみを見つめないと途中で挫折してしまう*3。というのも、本物の導師が稀であることに加え、たとえ本物の導師に辿り着いたとしても、その取り巻きやご家族、弟子たちが深刻な心の病気を患っていることが多いのだ…。

セマーゼンになるために

修行の末、セマーゼンの免許を取得

修行の末、セマーゼンの免許を取得

厳密に言うと法律違反ではあるが、トルコには様々なタリーカの道場があり、自身は上記の北キプロスの導師の、コンヤの古い道場に住み込んだ。ノミダニは勿論、寝ているとネズミやゴキブリに顔を襲われるという恐怖の道場であったが、数年間何度もひどい目に遭いながら探し求めたのだ。そんなことちっとも気にならなかった。

セマ―では左足を固定して旋回するので、板に打たれた釘を指に挟んで練習する。初めは血が出てとても痛かったし、すぐくらくらして目がまわってしまったが、免許取得前には、一日7時間もくるくる回ることができた。エクスタシー、などと欧米人に表現されることの多いセマーだが、確かに、ずっとくるくる回っていると、彼らの言うそのような境地になるかもしれない。

セマーの練習に加え、マウラウィー教団の導師を探し、アメリカのマウラウィー教団の導師とコンタクトを取り、彼の知人であるコンヤのスーフィーの先生のところに毎日レッスンを受けに行った。初めてのレッスン後の帰り道は、歩いているのにまるで体が浮いている様な感覚であったことを今でも覚えている。

時代は変わって今、全世界の宗教宗派同様、現存するスーフィー教団や集団の殆どが教義と言動が伴わない、残念な状況に陥っている。スーフィズムの一番の敵であるニファーク(偽善)、リヤー(欺瞞)をはじめ、嘘、嫉妬、中傷悪口、弱者いじめ、スーフィズム及びイスラームからの逸脱、黒魔術、偏見、差別、欲情などの蔓延…。しかしそれでも、時々、素晴らしい宝物が潜んでいることがある。体の細胞一つ一つが御光を放ち、一瞥で他人の人生を180度変えてしまうくらいの強烈な神秘を潜める、真のスーフィー。アッラー(神)への愛に生きる人々、素敵な人々だ。スーフィーを自称するだけの反スーフィズム的な教団・団体は、大嫌いだけれど!

【注】
*1 「私」という一人称はスーフィズムにおいてはそれ自体、エゴの象徴とされる。
*2 セマーは単なる舞踏でも儀式でもなく、極力忠実に日本語に直そうとするといわば「念唱」となる。
*3 自身のブログ「中東にて- 菊池絵美 in the Middle East」では体験を元に、スーフィーの修行エッセンスをちりばめている。スーフィズムの道を求め、しかし酷い目に遭いたくない方は、ひと通りの勉強をされることを勧める。

Emi Kikuchi

恵まれた日本のくらしを捨て、ジェルサレム目指し2000年単身中東へ。各国の宗教宗派を訪ねたのち各国の様々なスーフィー教団の導師のもとで修行。日本人としてはじめて、2つの由緒あるスーフィー教団から導師として認められる立場となる。現在は、アラビア語・イスラーム学研究を続ける一児の母。著書に『人間の中へー中東』(文芸社、2004)。カイロ大学文学部東洋言語学科ヘブライ語コース中退、アイン・シャムス大学アルソン学科アラビア語コース卒業。大学院進学予定。
写真の聖廟は四大スーフィー教団の一つの祖 サイエドゥナー・イブラーヒーム・アッドゥスーキー(ドゥスーク、エジプト)
Blog「中東にて - 菊池絵美 in the Middle East