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ジョグジャカルタ 鳥人間の謎を追え!

Arya in Yogyakarta, Indonesia

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ボロブドゥール付近に鳥人間現る

鳥人間がいるという情報を我々は得た。場所はジョグジャカルタ。ジャカルタと名は似ているが距離は遠い。同じジャワ島にあるとはいえ、飛行機にして1時間程度。インド洋に面したジョグジャカルタ特別州の州都だ。このジョグジャカルタという名の由来は、古くインド叙事詩『ラーマーヤナ』に遡るという。ラーマ王子の国の名が「アヨーディヤー」であり、そこから「ジョグジャカルタ」という名がついたのだとされる。なぜ「アヨーディヤー」が「ジョグジャカルタ」となるのか謎は深まるばかりだが、本稿では深入りを避けておきたい。

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ジョグジャカルタはその北西42km地点に位置する古代遺跡・ボロブドゥールで世界にその名を馳せる。密林に埋もれたこの仏教遺跡は8世紀に建造されたとされるが、驚くべきことにその後19世紀まで発見されなかった。神秘的なこの地を訪れるために多くの観光客がアジスチプト国際空港に降り立つ。行き交う観光客の99%の目的は遺跡を訪れることだといえるだろう。

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しかし我々は、ボロブドゥールには目もくれず鳥人間を追わねばならない。物言わぬ無害な滅びた文明の遺跡と異なり、鳥人間は紛れもなく今この世界にある存在であり、それは人類の危機と直結する可能性すらあるのだ。滞在できる時間はわずかに1泊。慌ただしく、ジャカルタはスカルノ・ハッタ国際空港からエアアジア機に乗り込む。

折しも世間はクリスマスの直前。エアアジアはイスラム教を国教とするマレーシアに拠点を置くが、近年は幅広く多くの国に路線を拡大しており、機内誌にはクリスマスを特集した記事が掲載されている。「各国のクリスマス」。日本のクリスマスの特徴として面白おかしく書かれている。「奇妙なことに、日本人はクリスマスともなるとケンタッキー・フライドチキンを買い込んで楽しく食べるのである」。KFCのマーケティングが奏功した結果とはいえ、これは戦慄の記事である。東南アジアにまでこうした愚かな日本人の習慣が知れ渡っている。鳥人間が実在するとしたら、彼の怒りはいかほどのものだろうか。我々はまさに「飛んで火に入る夏の虫」なのではないか……? しかし既に機上の人となった我々は、もう引き返すことはできない。

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鳥人間の生存戦略、そして愚かな人類の罪

鳥人間などという非現実的な存在を、我々は何も闇雲に追っているわけではない。人類の歴史を紐解けば、鳥人間の侵食は様々なところに発見することができる。たとえば有名な、フランスにおけるラスコーの洞窟壁画。およそ15,000年も前、途方もない過去の時代を生きたクロマニョン人によるものとされる壁画は、1940年偶然に発見され、世界に衝撃を与えた。それら壁画の多くは動物をモチーフとしているが、そのなかでも最大の謎と称されるものが「井戸の場面」。数ある壁画の中で唯一人間の形をしたモノが登場するのだが、その頭部は明らかに鳥の頭となっているのだ。鳥の頭に人間の体! これこそが鳥人間である。クロマニョン人にまで影響を与えていたとするなら、新人=ホモ・サピエンス・サピエンスとして広義に同じ種とカテゴライズされる我々現生人類には、明らかな鳥人間的不確定要素が受け継がれていると言って差し支えまい。

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「マンガの神様」手塚治虫に『鳥人大系』(1971)という作品がある。人類を遥かに凌駕する知能を獲得した鳥たちが、自分たちを捕食し環境を汚し続ける悪しき人類を駆逐し、代わりに地球の支配者として君臨するという話だ。いつしか鳥たちは直立二足歩行を始める。同様のモチーフを持つのが楳図かずお『14歳』(1990)だ。生物たちの人間に対する憎悪・咄嗟を一身に背負う存在として登場するのがかの「チキン・ジョージ博士」だ。鳥の頭を持ち、人間のように直立二足歩行をし、並外れた知能を持つ。

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鳥は実にしばしば恐怖のモチーフとなる。何を考えているのかわからないあの目。いやそもそも、もし何かを考えているのだとしたらそれは由々しき事態である。彼らはまず間違いなく人類を憎んでいるし(我々は彼らを虐殺し切り裂き焼き貪り喰らうのだ)、その怨念を爆発させるタイミングを狙っているからだ。

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前掲の作品で手塚も言及したのは、ダフネ・デュ・モーリアの短編小説『鳥』。平和な街である日突然鳥が人間を襲い始める、という話だ。アルフレッド・ヒッチコックによって映画化され、公開されたのは1963年。半世紀以上も前だ。しかし人類は「映画史に残る傑作」「最後の完璧な映画」などと能天気に絶賛するのみで、ここに隠された警鐘には終ぞ注意を払わない。チキン・ジョージ博士は間違いなくユニバーサル・ピクチャーズへの影響力を強めていたのに。もはやメディアは鳥たちのプロパガンダに利用されていると言って過言ではないのだ。

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影響は日本の芸能界にも及ぶ。2009年の「M-1グランプリ」では人気コンビ「笑い飯」が「鳥人(とりじん)」というネタを披露した。顔は鳥、首から下は英国紳士のような生物が「鳥好きの子ども」のもとに現れるという話。これが絶賛をもって評価されたことはまさにチキン・ジョージ博士の狙い通りと言ってよい。このネタに100点の評価をした島田紳助はのちに芸能界を離れることとなったが、裏にどのような事情があったかわかったものではない。いずれにせよ、吉本興業はもはや敵の手の内にある。吉本どころかエンタメ関係は全滅だ。羽鳥慎一アナ、漫画家では鳥山明氏、さらにハリウッドには大女優メリル・ストリープ。

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一方、これらの陰謀に気づかない愚かな手合いは、鳥に恐怖どころか憧れの思いを抱くことがある。「鳥人間コンテスト」などが良い例だ。人類は鳥にコンプレックスがある。なぜなら飛べないからである。人工的な種の選別により生まれたニワトリという〈飛べない鳥〉の存在はまさにその象徴であり、なればこそ我々はニワトリの羽根をむしり切り裂きタレに漬け込み焼き貪り喰うのである。

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しかし「鳥人間コンテスト」はそのコンプレックスを裏返しにし、あたかも夢を追う若者の挑戦というような体裁をとってショー化している。愚かな話である。鳥たちはもはや飛ぶことなどに拘泥してはいない。直立二足歩行を学習し、鳥人間として人間の上に立ち支配するための準備を着実に進めているのだ。

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作家の身体に翼は生えない

ところが、目に映るジョグジャカルタはのどかな街だ。日本ではもはや数十年前に失われてしまったような、自然豊かな田園風景が広がっている。ボロブドゥールを訪れる観光客向けのホテルも点在しているが、あくまで街並みに自然に溶け込んでいて、ツーリスティックさはほとんど感じられない。中心地から離れていけば、きちんと少しずつ目に映る人工物が減っていく。そして「街はずれ」というものがしっかりとある。あぜ道、小川、虫の鳴き声。その街はずれ、用水路を渡ったところにひっそりと佇む一戸建てがある。今回インタビューをするアーリヤの家だ。

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アーリヤは、パートナーのサラと一緒にここに暮らしている。ペットの猫を加えても、この家のスペースはかなり広々としていて十分すぎるほどだ。外から見れば、青々とした植物に取り囲まれるようにしていて、かなり古めかしい佇まいとなっている。でも、家の中はわりと小綺麗にリノベーションされている。木を主とした温かみのある雰囲気には、アーティスト・カップルらしいこだわりも感じられる。

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そう、アーリヤはアーティストだ。商業的な意味合いでの派手な活動はあまり見られないが、アートに加えて音楽で表現することを日常的にやっている。彼の家の2階には、いかにも風通しの良さそうな気持ちの良い寝室があるのだが、そこには何本ものギターが大事そうに置かれていて、その背後の壁には無数の「手」が描かれている。人間の手だ。少しぎょっとしてしまうが、よく見るとそれぞれの手の横には人名が記してある。

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「サルバドール・ダリ」「(アンディ・)ウォーホル」といったもはや伝説レベルの人々から、「ダミアン・ハースト」「奈良美智」「バンクシー」まで。さらには「ポール・マッカートニー」といったミュージシャンの名前もある。こうしたアーティストたちの手に着目し、動画や画像からそれを精緻に写し描いたというわけだ。表現を生んだそのフィジカルな部分が壁にびっしり。

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アーリヤは、実際の活動からも作品のテーマからも、かなりフィジカルな動きだとか身体性のようなものを感じるアーティストだ。ギターを片手にバンド活動をよく行っているというし、見た目も今からどこかにジョギングに出かけていってもおかしくない雰囲気。それは、家の外側にくっついている、半分屋外のようになったガレージのような彼の作業場に行けば、より強く感じることができる。ここには、彼にとって最も重要なモチーフをもとにした作品やその断片がたくさん置いてある。それはもちろん、鳥だ。

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すべては鳥人間となる

アーリヤは、政治だとか社会的なことがらにもかなり直接的な関心を寄せている。今回の旅で、かつて日本が(その全土を明確に)植民地化した国は初めてだったということもあり、思い切って対日感情について尋ねてみると、かなりしっかりとした考えを述べてくれる。過去についてはきちんと認識した上で、しかし手を取り合ってこれからのことを考えなければならない。なにしろ、現代を生きる我々の間にはなんらの個人的な貸し借りはないわけだし、という考え。そういえば彼のパートナーのサラはオランダ人。オランダといえば日本の前にこの地を支配していた国だな、ということをふと考える。

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では、彼が現在関心を寄せていることは何か。それは環境問題だ。人間による苛烈な環境破壊によって、自然界の生物たちは住処を追われるようになってしまった。この付近はずいぶん自然豊かだけれど、それでも空を自由に飛ぶ鳥たちの数は明らかに減ってきているのだ。

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そのため、彼は鳥をモチーフにして実に多くの作品を創り出している。たとえば鳥の形をしたティーポット。人間たちが優雅なひとときを楽しもうと目論む時、そのための茶は鳥のクチバシから吐き出されるように注がれるのだ。なんと残酷な話か。長良川などの鵜飼いのことを思い出さないわけにはいかない。人間は鵜に鮎などを飲み込ませ、それを吐き出させるという方法で漁を行う。生きるための漁ならまだしも、近年は観光のために、すなわちショーとしてそれが行われているのだ。
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彼のティーポットの鳥、その収められた箱にはこのようなセリフが書いてある。「さあ、リラックスしてお茶でもしようぜ!」このセリフの背後にどのような意味が隠されているのか、それは計り知れない。

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鵜飼いの話をアーリヤに話すことはとてもできなかったが、彼は環境保護の象徴としての鳥について様々に語り続けている。熱弁を振るう彼の顔が、次第に鳥に見えてくる。隣で頷いていたパートナーのサラの顔も、どうやら鳥に変わってしまったようだ。そう、鳥たちは自らが直立二足歩行をして人間になり代わろうとしていたのではない。人間の首をすげ替え、鳥の側に取り込んでしまおうというのがそもそもの狙いだったのだ。しかしそれに気づいたときにはもう遅かった。

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ジョグジャカルタに夕日が沈んでいく。光の中を鳥たちが飛び去っていく。しかし、私たちが背中に翼を持つことは永遠にないのだ。

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ARYA PANDJALU

 

退屈ロケット

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