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ブエノスアイレス 街のヴァイブと彼女の色彩

Barbara in Buenos Aires, Argentina

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世界には、まるでヨーロッパの飛び地のような場所がある。マカオであり、ケープタウンであり、そしてこのブエノスアイレスがそうだ。この街が「南米のパリ」とも称される理由は、単にその美しい町並みだけにあるのではない。あらゆる意味で、欧米式の「近代化」の影響をもっとも早く受けてきた。こういう種類の、常に外部からの刺激を受け続けてきた街は、文化的な先端都市にもなりやすい。ブエノスアイレスも例に漏れない。なかでも、イタリアなどのヨーロッパ系の住民が多く住むラ・ボカ地区はよく知られている。

ラ・ボカと聞いて連想するものは、人によって異なるだろう。ダンスが好きな人にとっては、ここはアルゼンチン・タンゴの発祥地だ。多くのタンゴ・アーティストがパフォーマンスを行うカミニート地区は鮮やかに彩られた華やかな街。一方で、むしろその街並みのアーティスティックさをイメージする人もいるだろう。絵画やグラフィックが好きな人にとっては、歩くだけでワクワクするような街だ。そして、あちらこちらに見られるグラフィティ・アートの類にしょっちゅう描かれている人物が、ディエゴ・マラドーナだ。人類史上最高のサッカー選手と評されることも多いこの選手は、欧州に渡る前にこの地を本拠地とするボカ・ジュニアーズに所属していた。実際にここで活躍した期間は短いが、それでもボカの人びとはマラドーナを英雄とたたえ、誇らしく思っているようだ。情熱のタンゴ、躍動する色彩、そしてファンタジスタの華麗なドリブル。とにかく創造性の泉のような場所が、この街にはあるのだ。

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となると当然、いきのいい若いアーティストもたくさんいることだろう、と期待が膨らむ。人づてに紹介を受けて今回話を聞かせてくれることになったのは、この街に住む女性アーティスト。Web上にも作品を活発に発表している彼女の名前は、バーバラという。スペイン語圏でもいちおう "Barbara(バルバラ)" という名前はあるけれど、どちらかというと英語圏っぽい名前だ。ブエノスアイレス市内、中心からやや離れた場所にアトリエ兼自宅を構えているという。

教えてもらった住所の近辺でタクシーを降りる。赴任中の友人に居候させてもらっている中心部のお金持ち地区とは、ずいぶん異なった雰囲気だ。壁を埋め尽くしているのはたくさんのグラフィティ・アート。でもボカ地区のそれのように整然としているわけではない。中には、スプレー缶でただただ乱雑に落書きをしただけ、といったものもある。アーティスティックな雰囲気と、ちょっとアブナイ雰囲気の間にゆらゆらしているような地区だ。どことなく、ケープタウンのポールが暮らしていた地域を思い出させる。ここの一角、ちょっと古めかしい感じのアパートが、目指すバーバラの住所だ。

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アトリエのカラフルな秩序

バーバラの部屋に足を踏み入れると、そこは住居というよりは遥かにアトリエっぽい。天井はたっぷりと高く、壁には彼女のものをはじめとして、たくさんの作品が飾られている。イーゼルには描きかけのカンヴァス。絵具の匂いが微かに漂う。全体的に散らかっているのだけど、不思議な秩序が感じられる部屋だ。乱雑なのではなくて、彼女にだけわかる合理的な配置なのだ、と思わせる統一感がある。そして部屋の中の何もかもは、じつに彩り鮮やかだ。外の光が十分に届くこの部屋では、その彩りも生き生きして見える。彼女は朝食代わりにと、お茶とともにフルーツを出してもてなしてくれる。オレンジにイチゴ、ぶどうにバナナと、こちらもカラフルだ。

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きりっと自己主張しているそんな色彩に囲まれていると、なるほどラテンのアート、という気分になる。でも一方で、にこやかに彼女が話してくれる英語はおそろしく流暢だ。ラテン訛りはまったく感じられない。それもそのはず、聞けばバーバラはアメリカで生まれ、10歳になるまでロサンゼルスに暮らしていたのだという。医者である父はアメリカで生まれ、当時はアメリカで学んでいた。それで彼女は、生まれながらにして国籍も言語もふたつ携えることになったのだ。

バーバラは幼い頃から、絵を描くのが大好きだった。そういう子どもはたくさんいるけれど、他の子どもたちと彼女の違いはシンプルだ。「皆どこかのタイミングで描くのをやめてしまうけれど、私はやめなかったの」。それどころか彼女は、学校に通ってしっかりとアートを学ぶようになる。6歳か7歳の頃に通いはじめた学校はかなり厳しいところだったが、彼女はそれが楽しかった。学校にはもっと年かさの、たとえば15歳だとか18歳の生徒たちがいて、「あんなふうになりたい」と大いに刺激を受けたのだ。自分は大きくなったらアーティストになるのだ、と彼女は思うようになる。実は、バーバラの祖母もまた画家だ。祖母の描いたポートレイトが売れていき、そのお金が家計の一部になるのをずっと見てきたから、自分もまた絵で生計を立てるのだと思うことは、彼女にとってまったく不自然なことでも、想像を絶するようなことでもなかったのだ。

ところが、10歳になってアルゼンチンに移ってからは、彼女の環境はなかなか難しくなる。アクリリックにしろ、油絵にしろ、色々なことの基本を自分で学ばなければならなくなったのだ。あるいは、そんな状況がかえって彼女の意識をより高めたのかもしれない。高校時代はなおのこと厄介だった。「物理だとか化学だとか、私ぜーんぜんわからなかったの!」。今の彼女からはとても知的な印象を受けるから、ちょっとうまく想像できないのだけど、「とっても悪い生徒だったの」と彼女はおかしそうに話してくれる。

どうも彼女が通っていた学校は、とにかく学業第一という雰囲気だったようだ。彼女のようにアートだとか、あるいは音楽に興味を持つような生徒は、とても「差別的」な扱いを受けるのだという。それで彼女は自分の意志を強くして、負けるものかとますますアートの道に邁進していった、というわけだ。

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ラテンのヴァイブを身にまとい

 「このあたりは、以前はとても治安の悪い場所だったの」とバーバラは言う。その頃のイメージが強くて、両親がここに住むことに反対したほどだという。でも今は、気をつけていればそれほどでもない。毎週月曜日に近くでコンサートか何かが催されて、やかましいパーカッションの音に悩まされるけれど(「もう勘弁して!」とバーバラ)、それを別にすれば居心地もいい。あたりをグラフィティ・アートに囲まれたこの地域の環境を、彼女は割と気に入っているようだ。

バーバラ自身も、しばしばグラフィティを描く。この街の驚くべき点は、基本的にグラフィティが合法とされているという点だ。世の中のグラフィティの中には質の高いものも多くあり、場合によっては文化的・政治的に強烈なメッセージを持ち得るほどだけれど、それらは法的には身もフタもなく単なる「落書き」であり、禁じられていることが一般的だ。ブルガリアでも南アフリカでもそうだった。でもここでは、それが合法的なものとして認められているのだ。だからといってこの「南米のパリ」の町並みのすべてが無遠慮にグラフィティで塗りつぶされるということは起こらない。グラフィティは特定の地域に集中しているのだという。バーバラは三つの地名を挙げてくれる。ラ・ボカ、コレヒアレス、そしてサン・テルモ。瀟洒であったり雑多であったり、ブエノスアイレスの街は様々な横顔を見せてくれる。

そんなブエノスアイレスは、住むにも描くにもいい場所だと彼女は言う。アルゼンチンとアメリカというふたつのバックグラウンドを持つバーバラだけど、腰を落ち着けて活動をすることに決めたのはアルゼンチンだった。実は彼女は、ニューヨークに数か月暮らしたこともある。でもやはりしっくり来なくて、ブエノスアイレスに帰って来た。ニューヨークはなにしろ物価が高いし、おまけに競争が激しい。ニューヨークで頑張っているファッション・デザイナーのアレハンドロの例を出すと、「きっとそんな人が何千人もいるのよ」とバーバラは頷く。

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アーティストとしてアルゼンチンの風土から受けた影響を尋ねると、彼女は「ヴァイブ」という英語を使った。単に「雰囲気」というだけでなく、その雰囲気自体が持つ感情や意思の働き、というところまで意味する言葉だ。日本語訳に四苦八苦するより、彼女の作品を見るほうが早い。鮮やかな色が描く曲線は、繊細でいて力強い。今にも語り掛けてきそうな、チョリパン(チョリソを挟んだパン。アルゼンチンのソウルフード)売りのおじさん。ガウチョ・スタイルをキメてたたずむ男の後ろでは、草原が波打っている。これらのモチーフも実にアルゼンチン・ローカルだ。バーバラは、かなり自覚的にアルゼンチンの伝統文化を意識している。 

一方で、自分の考え方にはけっこうアメリカ的なところがある、と彼女は自己分析する。たとえば彼女は、創作過程でiPadを積極的に利用する。絵具が乾くのを待つ必要もないし、修正も簡単だ。そしてそれを携えて街に繰り出していき、グラフィティを描くのだ。iPadのおかげで、作業はとてもよく捗る。実に合理的。でも彼女は、PCやタブレットの中だけで作品を完結させることはしない。そうした利器を駆使しても、最後は街角の壁なりカンヴァスなりに、実際に描くのだ。「私はそうしなくちゃいけないの」と彼女は言う。譲れない一線が、彼女の中にはしっかりある。 

学んで教えて、とにかく動く 

バーバラはまだまだ、自分のスタイルを創り上げるために試行錯誤している最中だ。彼女の作品群の中には確かに共通点が見られるし、つまりそれは、彼女が自分のスタイルをきっちりと持っているということだ。でもそれは、発展途上。たとえば、彼女が影響を受けてきたのはラテン的に鮮やかなデザインだけではない。同じカラフルさでも非常に内省的で、時には暗い印象を与えることもある「ドイツ表現主義」の作品にも、深く影響を受けてきた。彼女の内面にある「表現したいこと」というのは、ひと口に説明できるほど単純なことではないし、だからこそより的確な表現を求めて、彼女は新しいことを貪欲に学ぶ。最近習っているのは「ハイパーリアリズム」の手法。単なる写実主義ではなく、写真をもとにして、写真と見紛うほどの精密さをもって絵を描く方法だ。べつにハイパーリアリズムに転向しようというわけではなく、その技法を身につけることで、自分の表現を深めていこうというわけだ。

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バーバラは、学ぶ一方で教えることもしている。彼女は8人ほどの生徒に絵を教えていて、そのときにはこのアトリエは教室に早変わりするのだ。小さい頃に絵の学校に通ことをとても楽しみにしていた彼女は、その楽しさを他の人びとにも分け与えたいと思っているのかもしれない。もちろんそればかりでなく、教えることによって彼女自身が学ぶこともある。「たまに、どっちが教えているのかわからなくなってしまうこともあるのよ、おかしいわね」。思い通りに描けなくてイライラする生徒に対しては、彼女はこんなことを言う。「絵には、正解というものはないの。間違いもない」。確信を持って、ちょっとだけ自分に言い聞かせるみたいに、彼女は頷く。 

カンヴァスに向っていないときの時間も、彼女にとっては大切だ。たとえば音楽。ビバップやラテン・ジャズといったジャンルが好きな彼女は、自分でも趣味としてギターを弾くことがある。でもこちらは絵と違って、全然うまくいかないようだ。もっとうまく弾ければいいのにといつも思っているけど、楽器って超ムズカシイわね、とのことだった。彼女の絵だって超ムズカシイと思うけど、やっぱりそこは、得手不得手というところなのだろう。

それから、スポーツ用の自転車に乗って色々な場所を走りることも好きだ。週末から2週間、アルゼンチン南部のほうを回る予定なのだという。彼女はさらりと、「それからアンデスを越えてチリに入って……」と説明してくれるのだけど、よく考えてみると、それはかなり大がかりな話だ。マウンテンバイクでアンデスを上っていくなんて、そう気軽にできることではないような気がする。

でもきっと、実際に体を動かすこと、実際に手を動かして描くことが、彼女にとってはほんとうに大切なことなのだ。たとえばこうして、ただ座ってインタビューに答えているだけというのではどこか物足りない。だから、描いているところを撮りたいと言えば、ごく自然に絵筆を取り、カンヴァスに走らせてくれる。さらには目の前のインタビュアーの、ラフなポートレイトまで。「もうちょっとマシな髪型と服装で来ればよかったね」と言うと、「大丈夫よ」と笑うバーバラ。出来上がった絵は、黒一色なのに、しっかりと鮮やかだった。 

 

□ BARBARA LOW

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